ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第9号(2012年10月13日発行)に掲載された記事です。

新卒で東証1 部上場企業に入社しながらも定年の遥か前に、そこを辞して他の企業、それも中小企業やベンチャーへと転職したり独立する若者は、これまで決して珍しくはありませんでした。

ただ、ビジネス社会から政治の世界へ志す例は、二世でもない限り、それほど多いとは思えません。
それほど実は、これまでは政治に対し20、30代の若者たちに政治意識と志向する意思は少ないと思われます。
しかし近年、大阪から維新の会が発足してからは、やや様相が変わってきた観があり、政党が公認候補を募集すると数千人の応募者があり、若者にも大きな関心が寄せられているようです。

それでも、そのような現象とは異なり、ここで登場する中山照章氏は30歳を迎えたのを機に、次の現在の日本が抱える問題をいかに自分の世代で解決できるかと考えました。

[ 日本が直面する三大危機]
1、経済活力の長期低迷化。
2、国防・外交安全保障。
3、教育問題そして国家百年の計こそ今求められている優先すべき事柄だとし、そのための国の将来を決める根幹事業として教育こそ再生すべき最大の課題だと考えたのでした。

すなわち国家の百年先を考えて今日を行動するという日本人をこそ、教育によって育成すべきであると。
それは、しかし、ビジネス社会でも必要な事柄だと確信するものの現在の企業では、自分の所属する会社を含め容易に目的
化される課題では無いことも知りました。

国家あるいは企業の百年先よりも、現在の当面する経済的課題が優先されるからです。
また中山氏自身も経済社会以上に政治にこそ、未来の国家のための人づくりの役割があると考え、「政治の根本に教育あり」と確信するに至ったのでした。
彼は、寛容な性格で和を尊ぶ、「もの」に魂を込め生き物として考える、利己ではなく利他の精神をこそ、その教育の基本とすべきと考えたのでした。

しかし5 歳と0 歳の二人の男の子を抱えた家族を持つ中山氏にとって、優良企業と言われている大企業の管理業務を捨てて未経験の政治という企業では無く、いわば国家経営、あるいは市町村行政に飛び込むには、相当な躊躇と迷いもあったはずです。

その時の胸の内の苦悩を今でも話さない彼には、既に不退転の気概に満ちているのだろうけれども。
それは現在の政治状況が混迷しているのと寸部違わず、同じく他の先進諸国に劣るとまで言われるほど混迷し空洞化し続けてきた戦後からの教育方針に、それそのものをも再生しなければならないという切羽詰まった気持ちになったからに違いありません。

彼の言動が決して国粋主義や極右ではないものの、日本人の精神の再生、すなわち心の再生が急務とまで思い、かの戦
前の教育勅語の復活とまでに思いが及ぶところにいるからです。
その一方で、これからの日本にも急激に波及しているソーシャルネットワークシステムを含むインターネット社会による新たな産業革命の出現を待ち望んで、従来の中央集権型ヒエラルキーによる序列化した階級からのトップダウンによる意思決定では変化の激しい現代では間に合わないということと、個々の意思が活かされた専門性と自発性に基づく新たな組織統合によってしか、来るべきネット情報社会とも呼ぶべき新時代には適合しないと確信しているからです。

これからのリーダーとは、まさに高速で変化し続けるネット情報社会での様々な情報価値を調整する、そんな役割でなければならぬだろうというのが中山氏の到達した結論でした。
情報の価値や意味がもう一段上位に昇華され上質化し複合化して、それを組織のみならず参加する各個人の幸せに直結させていかねば、これからのリーダーではないという。
そしてそのようなリーダーを急ぎ育成し経済と不可分の政治にも及ぼす必要がある確信したからでもあります。

さて、このような発想を下敷きに政治へと目指す方向を定めた中山氏が、それを決断したきっかけには、あの東日本大震災という途方もない自然災害と人災との複合した悲劇を、現場に駆けつけ目の当たりにした際の自身の無力感、そしてさらには翌日に自ら企画していた発明大会の必然たる運命が作用したことと思われます。

それはあのビル・ゲイツ氏が設立を支援し、また彼の右腕と言われたネイサ・ミアボルト(14 歳でUCLA に入学)が設立し
た「Intellectual Ventures」と日本で発明家集団として活動している「発明塾」のメンバーが、昨年の2011 年6月18 日に彼の母校である駒場東邦中・高等学校にて、約300 名の中・高校生とOB、先生方と共に開催した発明大会です。

震災で一時は中止となったものの、学生からの要望が強く、また中山氏も経済の最先端で何が起きているか、学生時代に知りたかったという強い課題意識から、関係者を巻き込んで震災から3 ヵ月後に、実現したものでした。
テーマは「21 世紀のエジソンは君だ!―アイディアと技術で世界を救え―」でした。

ここにも経済と政治の差を超えたBPA が目指す、ビジネスプロデューサー形成への、いや新たな時代におけるリーダー育成への潮流を観ることができます。

進め!中山照章君よ、真のリーダーたれ!











(太田惠昌)




ドイツの社会学者・経済学者であるマックス・ヴェーバーは『職業としての政治家』(岩波文庫)の中で、その資質は情熱、責任感、判断力の3つであると言います。
情熱とは、自らが追求せざるを得ない事柄や正しいと信じる信仰への情熱的献身のことで、純粋に衝き動かされる情熱をいい、幻想に基づく情熱とは異なります。
幻想が根底になる情熱には責任がありません。

ヴェーバーのいう情熱とは「それが『仕事』への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す」(前述p.78)といっています。

そして、そのために必要なのが判断力だといいます。
「すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である」(前述p.78)。
判断力とは、自らの情熱を横に置き、冷静に物事の原因や現況を客観的に観察できる能力のことであり、判断とはその能力の先に下されるものなのです。

しかし冷徹な判断で情熱のまったくない政治家も資質に欠けているといえましょう。
ヴェーバーは「燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題」(前述p.78)と問題提起しています。

この問題を自己の中で解決したときに、その資質を身につけることができるのではないでしょうか。
また日本国民が政治に求める最大の期待は経済の活性化でしょう。
そのためには、国民も、正しい判断力を持つだけでなく、自立した利他的な行動を取らねばならないと思います。

高齢化社会と呼ばれる日本で、社会保障の切り下げに反対することは、個人の合理性には叶っていますが、若者にとって
は、社会保障を切り下げて社会保障の持続性を担保した方が合理的です。
個人の合理性を優先すると、国家にとって不合理な事象が生まれます。
国民のレベル以上の政治家は出てこない!と、言われます。
今の社会や政治を批判するだけでは、なにも解決しないのだということから、目をそらさずに、自分自身で認めなくてはならない時がきたのだと感じます。

自分を観ることはもちろん、国家としての自分、世界の中の自分というものを観て、情熱と責任感と判断力をもって生きるということが、そうした資質をもった政治家を生み出すことになるのだと思います。
自ら、そして若い学生たちとフラットな場で学び合いの時をもつ中山氏のこれから進み行く道を応援したいと思っております。
(小幡万里子)

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