ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第6号(2012年7月30日発行)の巻頭インタビューに掲載された記事です。
(撮影:伊藤淳)

「すべては入れ子状になっている」
蝉の声が響き渡る真夏の明治神宮で、第42回新潮新人賞を受賞された太田靖久氏のインタビューが実現いたしました。

太田氏の小説の舞台になった代々木公園でのインタビューは、原発デモでロケ地変更。それもまた必然なのでしょう。

人間にも、社会にも、世界にも、そして人では抗うことのできない何かの力は、無関係を装いながら、それぞれに願うと願わざるを得ずに関わりあっているという、太田氏の思考は、著作の中にも現れています。ビジネスプロデューサーには、こうした思考する視点が重要で、そして、その思考や視点が、どこから来たのか・・・それを紐解いていくことも重要です。「父性」という絆から、それを感じられるのではないでしょうか。

小幡:真夏の代々木公園で待ち合わせのはずが、なんと、脱原発のデモと重なってしまいましたね。太田さんの『ののの』の作品に出てくる代々木公園での撮影をしたかったのですが・・・
太田:僕も小説の舞台で・・・と思っていたのですが、今日は代々木公園での撮影は難しそうですね。
小幡:週末、国会前でのデモで、周りの飲食店はデモ割をしろ!って、ツイッターが拡散されたことをご存知でしょうか。まるでデモに参加する人が正しくて、その人たちのために割引しない店はヒドイ!と言っている人がいて、デモをする人たちがそんなに偉いの?って、少し嫌悪感を抱いたことがあります。

太田:僕はデモが正しいとか間違っているとかに言及する気はないのですが、デモをする人たちが存在する一方、それに嫌悪を示す人たちが存在した場合、情報が錯綜するはずだと考えます。たとえばそのケースの場合、相手方が仕組んだ流言なのかもしれない、とか。
デモを嫌悪する人たちが「デモ割を求めるなんて図々しい」と世間に感じさせ、デモのイメージを悪くしようとして一のことを百にしている可能性だってあ

る。
一つの事象について何かを見抜いた気になって即断し、それ以上のことを考えないことの方が怖いです。
事象は常に連鎖しているから、2番目の動き、3番目、4番目と続いていくのではないか、と想像します。可視化したものは理解しやすいので、未だ不可視なものがあるということを忘れてしまいがちですよね。だからといって、「カオスこそリアル」と言ってしまうと一般論で有効性を持たないし、結局は失語症になる危険性もありますが。
思考に区切りをつけるタイミングについて、よく考えます。物事を見つめることと語ることはベクトルが逆です。簡単に言えば、それは「インプット」と「アウトプット」という言葉になりますが、この方向の矛盾した2つのベクトルを同居させ、どうやって見落とさず過不足なく語るのか、というのは小説を書く上でも常に考え続けていることです。

小幡:確かに、太田さんの作品は入れ子状の形で創られていますよね。主人公はいろいろな人とつながっていて、見えないけれど、見えてくる場所に影響を与え合っていますよね。太田さんが、小説家になろうって思ったきっかけはあるのでしょうか?
太田:小学生の頃はソフトボールを、中学・高校生の頃はサッカーをやっていました。大学の映画サークルで自主映画の脚本を書いたりもしていたので、その辺りから少しずつ書くって方向に来たのかもしれません。必ずしもチームプレイが苦手な訳ではないのですが、一人でやる方が向いている気はします。

「テロリスト求む」

小幡:作家として「イケる!」って思った時はあるのでしょうか?
太田:26歳の時に文藝春秋社の「文學界」の最終選考に2度残ったんです。確か島田雅彦さんが「テロリスト求む」と小説新人賞の投稿者に呼びかけていて、受賞はできなかったんですが、最終選考に残った自分の作品の論評に「北朝鮮の破壊工作同様、意味不明」って書いてくださって、「狙った的に当たったのかもしれない」って、嬉しくなりました。作品を媒介として社会とコミットするダイナミズムを感じたんです。僕の人柄や経歴などに関係なく、作品だけで繋がることは、純化されたコミュニケーションだという感覚で、心地よかったです。
小幡:そして『ののの』で第42回新潮新人賞を取るまで、8年。その間、ご家族からの理解があったから、諦めなかったって感じだったんでしょうか。
太田:継続は力なりとか、信じれば夢は叶うとか、諦めないことが大事とか、そういった感じではないですね。もちろん自分で書けるものはある程度限られてはいるし、強く書きたいことがあるので、全方位的に仕掛けていたとは言い難いです。でも自分の小説で社会とコミットできるという感覚を掴んではいたので、闇雲に書くという感じではなかった。その8年間は、自分と時代とのズレを見極めたりしながら、書き続けていました。
小幡:そのズレというのは、自分が世間より早すぎた?ということでしょうか?

太田:早いとか遅いとかではなく、たとえるなら「川」です。流れには複数の断層のような世界が存在します。中間地点で渦を巻いていたり、逆流しているところもあって、表面とは違う速さの場所があって、常に複数の流れが存在する、という感じです。
そういう流れの中にいて、現在の文学的流行や、社会的背景や事件、人々が抱えている思念とか、そういう複合的な流れを含んだ時代と自分の書くものとのズレを漠然と感じていた、ということです。
これは先の入れ子の話とも通じます。でも、「そろそろ上手くいくのではないかな」という予感はあって、それが2010年の新潮新人賞にマッチした感じです。
小幡:作品が生まれる瞬間ってあるんですか?
太田;アイデアとビジョンが生まれる瞬間ですね。本を読んでいる時に浮かぶときもあるし、歩いていてふいに思いつくこともあります。机に向かったからといって必ずしも出てくるわけでもないので、書ける時に書くって感じです。書けると思うとパソコンに向かう。
時間帯とかも決まっていないし、ホントに書ける時って感じですね。
小幡:なるほど。自分時間で生きている!という感じなのでしょうか。
太田:自分の感覚を大切にしています。自意識や我儘というのではなく、自分の動きや状態に注意しているというか。だって、自分に嘘はつけないじゃないですか。自分に嘘をつかないんじゃなくて。自分自身にはごまかしが効かないことはとても怖いけれど、面白くもある。
小幡:太田さんが、あなたの職業は?と、聞かれたら、なんて答えますか?
太田:「「小説家」って答えますね。
小幡:素敵ですね。やっぱり、学生時代の映画サークルで活動されていて、クリエイターとしての感覚があったということなのでしょうか。
太田:どちらかというと兄の方がクリエイターとしての才能がありました。子どもの頃から、美術とか音楽とかに造詣が深くて、絵も上手かったですからね。
小幡:お兄様はデザイナーをされていらっしゃいますよね。
太田:そうです。僕は独りが好きだったりするのですが、兄はたぶんコミュニティが好きなタイプですね。兄は学生時代にラグビーやアメフトをやっていました。ちなみに、義姉は西荻窪で「Mies」(ミース)という北欧系の雑貨店のオーナーで、二人ともデザイン感覚が優れているなあと感じます。

「自分がどう世界を見ているか」

小幡:影響を受けた人っていらっしゃいますか?やっぱり、ご家族からの大きな影響は、あるのではないでしょうか。太田さんは、BPAの名物男と呼ばれる、太田惠昌氏のご子息ですけれど、お父様の惠昌氏の影響を受けている若い人たちが、すごく多いんです(笑)

太田:確かにパワフルですよね。僕は、あんなにパワフルに動くことはできないです。(笑)子供を3人産んで育てている姉が一番あのパワーを受けついでいるのかもしれません。

僕に関して言えば、影響を受けた人間はいない気がするんです。正確には「いない」ではなく、「できない」というか。本質的な意味で、人は人に影響を与えることはできないのではないでしょうか。
何を「きっかけ」にするのかは自分次第なので、それを「影響」と呼んでも良いのかもしれませんが、それは僕の話に限らず、最後は自分で決めて自分で実行するしかない気がするからです。自分がどう世界を見ているかが、大事だって思うんです。

小幡:お父様の惠昌氏は、厚木でゴミを拾いながらご近所を歩いていらっしゃるそうですが、「次男の靖久さんだけが、いつも一緒にゴミ拾いをしてくれていた。」って、おっしゃっておりました。その姿から学んだことってありますか。
太田:兄も姉もたぶん飽きちゃって、僕だけが残ったって感じでしょうか。(笑)でも、ゴミ拾いっていうより「冒険に行こう!」って誘われました。決して、特別な場所じゃないんですけれど、裏山とかを歩きながら竹で杖を作ったりして。里山遊びっていうんですかね、あれは。
小幡:そういえば、お父様の惠昌氏は、今も、そういう里山の中の宿泊施設の再生を頼まれて、子どもたちが怪我してもいいから、刃物を使って木を切ったり、何かを作ることのできる場所にしたいっておっしゃってますね。

「自由な環境で、一人で考え、行動できるようにしてくれた」

太田:そうなんですか。家ではあまり仕事の話とかはしないので分かりませんが。持ち込まないっていうか。語るに足るような父親との思い出とかあまりないんです。トラウマとか、ネガティヴな感情が思い出として残ることが多いじゃないですか。だから覚えていないことは、幸せだったのかもしれないとは思うんですけどね。
自由な環境で、一人で考えられるように、行動できるようにとしてくれていたのかもしれません。これは、母も同じだと思います。母は肝心なところがブレない人で、軸が安定している。

父は自分をシンプルに見せる優しい人だと感じます。本当は複雑なことっていっぱいあったと思うんですけれど、人や社会の複雑さを見せない。相手をいたずらに混乱させない人です。
僕が小学校の頃に、父がバイク事故で長期入院したことがありました。今考えるとものすごく大変なことだったと思うんです。子どもが3人いたわけですから。

でも、子どもたちに深刻さを感じさせなかった。しかも、後からも言わない。「あの時はこんなに大変だったんだ」という話もない。父も母も。仕事も忙しかったと思うんですが、休みの日に父が疲れて昼まで寝ているとか、疲れで機嫌が悪いとか、そういう姿をほとんど見たことがないんです。
あのパワフルさというか、自分をコントロールする能力は、すごいとは思いますね。

小幡:お父様の惠昌氏は、太田さんのおじい様がすごく才能のある方で、隔世遺伝で子どもたちがその血を引き継いでいることが嬉しいっておっしゃっていたことがあるんです。おじい様の思い出とかはありますか?
太田:おじいさんは富山在住だったので頻繁に行くことはなかったのですが、母が、おじいさんの車に僕たちを乗せるのをすごく嫌がったんですよ。大人になってその理由を母に聞いたら、おじいさんは、赤信号でもガンガン進むんだそうです。子供を3人乗せて赤信号を進まれたら、それは心配だったろうなあと。(笑)
小幡:それは…お父様も、信号ではないですけれど、ガンガン進むタイプですね(笑)
太田:(笑)
小幡:太田さんの作品には、全くご家族の影響とかはないのですか。
太田:そんなにはないと思います。自分の経験や思索が主です。仕事に関していえば、映画館や古本屋、飲食店やホテルでの仕事をしたことがあります。『お神さん』に出てくる工場とか。職業取材をしたりもしますが、それだけでは分からないことも多いですから。たとえば、この氷の入ったアイスコーヒーのグラスがありますね。このアイスコーヒーをぬるいと感じる瞬間や、氷が溶けて薄くなったタイミングを書きたいって思うんです。その際、実際に自分が体感した方が分かりやすい。初めての仕事をするときの緊張感ってあるじゃないですか。五感をめぐらせて挑む。その時に新しい思考が生まれることも多いです。
その感覚は、小説を書くためだけではないと思うんです。小説を書くことは特別なことではなくて、あらゆる職業で同じだと思っています。他の人には分からない難しさが各々にあって、人には伝わりにくい。けれど、そこには固有の物語があったりするはずです。それを表現し、伝えることを小説家が行っているのだと思っています。

「その一瞬の感覚をつかんで、手放さないということ」

小幡:作家には編集者が影の力として存在するものですが、太田さんが書くことができるというのは、太田さんの作品を、ずっと信じてくれている編集者がいるということも大きいですか?
太田:最初に「文學界」の最終選考まで残った時に、社会にコミットできた実感があったと言いました。もちろん、編集者の方が僕の作品を拾い上げて下さったことに感謝しています。その信じてくれた一瞬があったという真実。だから、その場所にいつでも戻ればいいんだ、と。想いは一瞬です。その時にそれが100%の真実であれば、嘘がないわけです。その一瞬の感覚をつかんで、手放さないということ。それは今も同じです。
小幡:太田さんの作品の男女の会話は、すごく素敵ですよね。
太田:ありがとうございます。抽象的な会話だと言われることもありますが。
小幡:でも、人と人との会話なんて、互いに100%の理解なんてあり得ないじゃないですか。
太田さんの書く男女の会話って、村上春樹と似てるって感覚がすごくあります。村上春樹の奥様は、「春樹さんのラブレターは最高に素敵。」とおっしゃっていますが、彼の男女の会話も、日常を超えた心の芯に互いに言葉をかけ合っているという感じがします。きっと、ハルキニスト(村上春樹の熱狂的ファン)たちには、太田さんの作品が好まれるように思います。
純文学を貫くことが難しい時代になっているようにも感じますが、太田さんの小説には、絵が浮かぶんですよね。

私は、漱石大好き人間なのですが、高校の教科書に載っている「こころ」にして、みんなが覚えているのは「向上心のない人間は馬鹿だ」のワンセンテンスだけで、あらすじさえ、覚えていない読者が山のようにいると思うんです。そして、Kが自殺した後の血吹雪が部屋の中に赤く飛んでいる描写など、漱石はその場面を描きたくて、「こころ」を創り出したんじゃないか・・・なんて思ったりもします。
太田さんの書くものは、絵が浮かぶことで、その世界観を読者が創り上げられるという、次へつながる小説だと感じています。これからが、とても楽しみです。期待しています。
太田:頑張ります。ありがとうございます。

 

「書籍案内・インタビューを終えて」

   『ののの』(2010年「 新潮」11月号 第42回新潮新人賞受賞作)

兄の首にぶら下がる自転車通学許可証。ユーカリの枝に引っ掛かったそのビニール紐。中学生の命を奪ったものは、誰にも罪を問われることのない二つのもの。「父親はこうも言った。『つまりお前の想像の中でお前の想像通りのことしか起きないのだとしたら、  れは本当の意味での想像ではないのだ』と」
台風の夜。ショベルカーをぎこちなく動かす男。川の決壊。父の死。
「ののやま」の「のの」・・・あらゆる種類の本が積まれた山。文字は溶け、言霊をもつ言葉は解き放たれ、悪臭をもつものと清純なものは交わり合っている。白い本。二人のケンジ。兄と弟。兄と妹。

新人賞受賞時の太田靖久氏の受賞の言葉
「悪い人たちにとっての悪い人になりたい。見た目がわかりにくいなら、血と汗と涙で汚れた、動物を模したお面を被ってもいい。冗談も皮肉も本気もその裏側に隠して、せいぜい堂々と気取ろう。そして心だけは向こう側に落とす。誰かに教わったことではない。今もまだ色々と愛しているだけだ。嘘っぱちだらけの世界で最後に本当を言う。僕がずっと会いたかったのは君だ。幸運を祈る。」

   『お神さん』(2011年「 新潮」10月号)

ベーシックインカム制度を申し込むと労働なしで国から援助が受けられる近未来。そのかわりに、死後に「お神さん」として働かされる。
高校生の矢代とミイコ。ミイコは人間の鋭敏さを受け取る力をもつ少女。
工場でアルバイトをする人たちの送迎バスの運転手だった義家。不良は通りすがりの人間が男か女かを賭け、女だったらやっちまおう!としていたが、男であった義家をおやじ狩りする。死後「お神さん」になり、働かされる義家。
人の空虚を埋める胸の空洞をミイコはつかみ出す。
「君は若く美しく、そして図々しかった。そのおかげで君自身はたくさんの犠牲を払わずに済んだ。でもその代償を誰が引き受けたのか君は知っているのか」
・・・「脚の歪みが骨盤を歪ませ、その影響で背骨が曲がり、肩が落ち、首の骨がねじれ、頭蓋骨がずれる。全部の歪みを治すのは大変で、大切なのは最初に歪んでしまったものをすぐに治すこと。」整体師に言われるミイコ。
人間の骨格だけにとどまらず、連鎖はあらゆる場所で起こる。いじめられた人は別の人をいじめることでバランスを取り、憎まれた人は別の人を憎むことで心の平穏を保とうとする。居場所を奪われた人は他の誰かの居場所を奪おうとする。連鎖の最後、何も歪ませることができなくなる・・・
「大人って誰かが『してやる』ものですか?それとも自分で『なる』ものですか?」高校生が問う。
ポストに入れられた手紙は、はたして、ちゃんと相手に届いているのだろうか。それでも、ポストを信じる続けることができますか。

  『いない』(2012年「 すばる」5月号)

僕は想像した。この七つの果実は「物語」の一部だったのではないか。
「あの運転手って道路の上に何もないと思っているみたい。だからあの車が人身事故を起こしたら通行人のせいにするはずだよ。確かに車道の上には基本的に何もない。ううん、違う、何もないってことに一応なってはいる。でもその考えを誰かが肯定しているわけではないのに」大学生の僕と香澄。
「スピードを出しているからって、道の上に何もないとは思っていないでしょう?」
「あの運転手は道の上に何もないって思いたがっているっていうこと。そういう祈りみたいな考え方が大嫌いってことだよ」
「私が気分を整えるのに毎日どれだけ苦労しているか教えてやりたいよ。美味しいものを食べて、綺麗な服を買って、たっぷり寝て、楽しい音楽を聞いて、そうやってどうにかしてバランスを取っているのに、心ない運転手が一人存在するだけで全部が台無しになりそうになる」

父と子のテーマで、お話を伺う・・・そのテーマを見つけた時に、これは太田靖久氏しかいない!と思いました。「いない」の作品とは別の次元ですが(笑)
BPAのお父さんともいえる太田惠昌氏は、BPAに集まる方や、これからの未来のリーダーたちに対して、熱い思いを持たれていらっしゃる方です。3人のお子さんのお父さまでもあり、それぞれに御活躍をされているお子さんにとって、どんな父であり、どんな影響を与えたのか。とても興味がありました。
「特に影響は受けていないんです」と言われる靖久氏に、拍子抜けしたものの、文学への真剣な向き合い方には、父惠昌氏の姿が重なります。
「子どもたちが小学生の頃、『お前にはアメリカ大陸を授ける。お前にはアフリカ大陸。お前には南極大陸。自分の好きに作ってみなさい」と話し、それを学校の先生に話した御子息がいて、先生も驚かれていたというお話を伺ったことがあります。
なんて素敵な父親教育だろうと思ったことがありました。そのお話を靖久氏に伺うと「覚えていないなあ(笑)」
でも、思い出さないくらい、自分の自由な毎日だったと言われる言葉に、そして、自分自身が自分世界の支配者という言葉に、惠昌氏の子どもたちに伝えてきた生きざまが言葉を超えて伝わっているように感じました。
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。」とはルソーの『エミール』の中の言葉です。
言葉ではなく自然の中で教え育む教育をされてきたのが惠昌氏であるように思います。
靖久氏の小説には言葉の限界を超えたコミュニケーションを必要とする、読み手側の読解力が求められています。そこには、太田父子のように、文字を言霊に置きかえることのできるコミュニケーション能力によって、小説を媒介とした、緊張感をもった、互いが自己支配者に成り得る関係性が持てるのではないかと思います。

小説とは、もともと、作者が描く絵を、いかに自分の経験や時間と合わせるかというコミュニケーション能力が問われているのです。相互の能力を高めていける可能性をもった素晴らしい新人小説家のこれからは、ビジネスプロデューサー協会の切磋琢磨する場において、同じく成長し合い、新たなる創造者たちと同じ香りを感じるのです。
太田靖久氏の単行本が発売されましたら、真っ先に、BPAにてご紹介をさせていただきたいと思います。(小幡万里子)


太田靖久氏プロフィール
1975年生まれ 神奈川県厚木市出身
2010年「新潮」11月号『ののの』にて第42回新潮新人賞受賞
2011年「新潮」10月号『お神さん』掲載
2012年「すばる」5月号『いない』掲載
現在、数社より依頼を受け、原稿を執筆中

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