ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第3号(2012年4月30日発行)の巻頭インタビューに掲載された記事です。

3月の終わり。浅草に近い東京の下町で開催していた福田匠吾さんの個展に伺いました。

基本が身体に沁みついていることがわかる文字の書遊び(と、いっても本気の遊びです)に、滅茶苦茶、ドキドキしちゃいました。すべてにおいて、遊びを感じられる人は、基礎や基本が身についていることが伝わります。

なぜならば、それがなければ、ただの乱暴と同じになってしまうからです。匠吾さんには、一本の筋を感じます。それは、DNAといってしまうと、元も子もないと言われそうですが、まさに環境と血を感じさせる努力と才能の賜を感じたのでした。
(インタビューは敬称を略し、福田匠吾氏を匠吾とさせていただいております)

福田匠吾氏
プロフィール
1987年生まれ。
京都精華大学人文学部社会メディア学科卒。
書家 祥洲を父に持ち、3歳の頃から筆と戯れ育つ。
伝統書から現代書、芸術論や哲学までを学ぶ中、21歳でプロ活動を開始。
仮名を橋本烽玉先生に師事
篆刻を高潤生先生に師事
近年では大阪吹田で震災復興祈願の大作発表や新聞各紙に掲載された京都巡回展「羽衣」、越前和紙(福井県和紙工業協同組合)とのコラボ、中国書法国際展で一席準大賞受賞など、伝統書をベースとした作品に力を込め、精力的に活動を展開している。
2011年より、書道教室「墨翔/Bokusho」を立ち上げ、豊かな想像力を養いながら、一人一人の個性を尊重した書教育にも積極的に取り組んでいる。
書道教室「墨翔」主幹
祥洲 京都教室 / 東京教室の指導助手

[nextpage title=”3歳の手習い”]

小幡:匠吾さんは何歳の時から書道を習っていたのでしょう?

匠吾:父が書家の祥洲で、3歳の頃から筆を持ち始めました。

小幡:匠吾さんのこの作品を見ると、ちゃんと、「舌、眼、鼻、身、耳」って分かります。よく、何が書かれているか分からない文字をアートとしての書だと言われる方がたくさんいらっしゃいますが、文字や書って、人に伝えること、伝わることに意味があると、私は思っているので、匠吾さんの書には、しっかりと伝えるという意思が感じられます。私も子どもの頃、10年くらいお習字を習っていたので、偉そうに言ってしまって申し訳ないのですが(笑)
匠吾さんの書には、基礎や基本が鍛錬の中で身についているということが見えますね。

匠吾:ありがとうございます。未熟ながらも基本があるって言われることは、とても嬉しいです。すべてにおいて、土壌はとても大事だと思っています。昨年から、子ども達のために書道教室を始めたのですが、「一」を書くときに「トンツートン」っていう教え方をしながら、とにかく、わかりやすく基本をしっかり身に着けてもらいたいと思っています。その後に、自分の字、そのもの
でいいんだよ。って、話すと、本当にすごくいい字を書くんです。ここだけは押さえておきたいということを理解して体得した基礎があると、どんどん自分色で広がっていく世界が許されるんですね。自分自身も、僕の師匠は、そういう自由さを許してくれる方ばかりなので、すごく自分の世界が広がっていけるんです。

小幡:匠吾さんの師匠って、どんな方なのでしょう。

匠吾:僕には3人の師匠がいます。父である祥洲。篆刻(てんこく)といって印を作る技術、文字(篆書)を高潤生先生。そして、仮名の大家である橋本烽玉先生に師事しています。
橋本先生にお会いした時、「書がうまくなるにはどうしたらいいのですか?」とお聞きしたら「お洒落をしなさい」って言われたんです。その言葉がすごく印象的で。な
にしろ、橋本先生がすごくお洒落でかっこいいんです。この三人の先生から書を通じて生きることを学んでいるともいえます。


小幡:それは、素晴らしい出会いですね。

匠吾:自分の身体とも出会いというか、意識することが大事だと思っています。
動くって筋肉を使うことですよね。その筋肉をうまく使うためには、意識をもって筋肉トレーニングをすることが、すごく大事で、それによって、自分で動きをコントロールできるようになります。常に自分を意識し続けるということを教えられています。

小幡:匠吾さんは自由を許される環境であるからこそ、伝統を重んじ、自分を追及して、自由の裏にある自立という面で、深く自分の哲学を追い求めていらっしゃるのかもしれませんね。

[nextpage title=”個展『衝撃―SHOCK』”]

匠吾:この個展は、『衝撃―SHOCK』 がタイトルで、奥に「監視」という文字を置いているのですが、ああやって、自己という人間が監視カメラに囲まれて、24時間を管理されている今の社会に対して、なにも見えないようにしている=感じないようにされている自分を解放しろよ!という、衝撃を与えたいと考えて、この個展にチャレンジしました。

小幡:なるほど。「舌、眼、鼻、身、耳」」というのは、人間の五感なのですね。味覚、視覚、嗅覚、触覚、聴覚という、まさに人間の感覚を監視することで失わせている憤りのようなものを、匠吾さんがもっているということなのでしょうか。

匠吾:僕は「自分は自分」でしかないって思っているんです。今回は、意図的に「印」を押していないんです。これには2つ意味があってまずはこのシリーズがまだ終わっていない「未結」だという事。もう一つ、「印」は、誰が書いたって証として使う事が多いですが、そんな「印」で自分を証明するのではなくて、この書いた文字をみたら、福田匠吾なんだ!ってことを
分かってもらいたい。そういう書家を目指しています。誰にも真似のできない自分なんだ!ってことを証明したいっていう気持ちがあります。

小幡:まさに、自己はオリジナルで、自ら、自己のオリジナルを追及することが生きることであるともいえますね。匠吾さんの作品は、だから、これが匠吾さんだという独自の文字が表現されているのですね。こうした作品のすべては、同時期に書いていらっしゃるのですか?墨のくっきりと黒いところと滲(にじ)んでいるところとありますが。

匠吾:僕は、自分で墨を作っています。原料(スス)から調合しているので気温、湿度などで
分量を決める。今回の作品はそこに一般的な擦った墨をブレンドして、その両方の性質をバランスよく扱いながら、作品制作に望んでいます。
アトリエに一日いても、何も書かないで終わることもあります。父の祥洲はエリック・クラプトンが好きだったりするんですが、僕も子どものころからジャズやロックを聴いて育ってきて、その聞いている音楽からイメージを作り上げて作品に息を吹き込んだりしています。

小幡:なるほど。感覚を磨いたり、自分のイメージを作りあげる時は、音楽の力が大きいのですね。ビジネスプロデューサー協会でも「カリスマ経営者は音楽から発想する」というコンセプトでスクールを始めています(笑)
匠吾さんのこの五感の作品を見ていると、「舌」という文字は、そのオリジナル墨を使って滲みを出してるんですね。隣の「眼」は渇筆で硬質感を感じる書ですね。まるで「舌」の濡れた感じと、監視された自分の眼は乾いていく・・・そんなことまでを想像させる書ですね。
筆と墨は、楕円の二つの焦点のように近づくほどに完璧な円になりますが、絵画構成の二つの極のように、その距離があるほど、アートに近づくのでしょうね。言ってみれば、筆は客観、墨は主観と言えるような、その線と滲みのバランスが書においてのアートで、文字が文字で無くなった時、それは「書」と呼んでいいものか分からないものになってしまうように思います。匠吾さんは「書は書」であり続けながら、筆と墨の極の距離やバランスで、芸術に挑戦されているように感じます。

匠吾:ありがとうございます。父の祥洲も先輩の兄弟子たちも、それぞれが試行錯誤した墨を使っています。僕は、作品制作において父が筆を持って書いているところを見たことがないんです(笑)
みんな、自分は自分であり、自分以外を超えていく自分でありたいという、切磋琢磨の場でもあります。もちろん、プライベートはすごく仲がいいですよ。(笑)

小幡:そうしたよき師と、よきライバルがいるからこそ、匠吾さんがますます成長されていかれるのでしょうね。これからが、ますます楽しみです。これからの匠吾さんの情報も、ぜひお知らせしてまいりたいと思います。今日はありがとうございました。

匠吾:こちらこそ、本当にありがとうございました。

書家 福田匠吾 公式HP http://f-shogo.jp/

[nextpage title=”インタビューを終えて・・・”]


書の用語に気脈という言葉があります。文字間や点画間における気持ちのつながりや流れのことを言います。実際には色として紙の上に書かれる文字の線が続いていなくとも、ひとつの流れやつながりのある書は、身体中の血液が滞りなく流れるように、勢いや循環を感じることができます。
特に日本で生れた平仮名には、その気脈をより感じることができます。匠吾さんが、あえて仮名文字を学んでいるということには、この「脈」にこそ、文字が書となる力であると感じているからではないかと思ったりします。

冒頭で、一本の筋、DNAという言葉がすぐに浮かんだのも、書がつながりや流れで作られているように、福田匠吾という書家は、父祥洲と、そのお父様が影響を受けた書家、南谷とその父天来という書家親子の気脈を循環し続けているからなのかもしれません。

書の歴史は長く、中国の紀元前周の時代「書経」にまで遡ります。脈々と連なるつながりは、いずれ歴史になり過去になります。
美とは、とても個人的なことで、自分の感じる美が、他人を感動させることなければ、芸術にはなりません。つまり、主観を客観に変えた時、感動は生まれます。
けれど、その客観があまりにも高くなり過ぎると、普通の当たり前になってしまいます。つまり、芸術というものは、常に新しい美を主観から客観に変えていくことの繰り返しなのです。そこには、終わることない新たな発想が連綿と求められます。
特に書は、抽象的な精神を、線を使いながら表現し、しかも見えない脈を秘めていることで、受ける側に様々な連想や想像を掻き立てる芸術となります。

ビジネスも同じように、常に新しい美ともいえる価値を、主観から客観に変えていくことで、そこに経済の気脈を生み出します。
文人と言われる中国の学問を修め文章をよくする人という人間類系の中に、三国時代の「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」と呼ばれる人がいます。老荘思想「山林に世塵を避ける」というように、世俗を避け、新たな発想を生み出す場が竹林であり、そこで世間の常識を超えた7人が未来のために議論をしていました。

世の中が安定せず、今までの当たり前であったものがガラガラと崩れ去るということは、一般の生活だけでなく思想にも大きな影響を与えます。普通が通用しなくなった時、普通を超える感覚や発想が求められます。ただそこには、過去からの脈々と続く基礎もあってこそ。それを変えて新たな美、価値を生み出す力が必要な時代が、今なのだといえましょう。

福田匠吾さんの個展を取材させていただいて、まだ25歳という若い彼の血に、期待できる力を感じました。それは、若いビジネスプロデューサーが、必ず、どこかにいるという期待でもあります。匠吾さんの書から、多くのビジネスプロデューサーは感じ学ぶことが多いはずです。
新たなものを生み出す時には、よい刺激が欠かせません。これからも、BPAJAPANを通じて、多くの刺激と気脈を皆様にお届けしたいと思います。(小幡万里子)

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