ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第8号(2012年9月28日発行)に掲載された記事です。

「聖山カイラス巡拝」

大村氏は現在、会社経営の傍ら、インド中央政府公認のヨーガインストラクターとして統合医療としてのヨーガの普及に尽力され、また一方で、伝統ヨーギとしてのヨーガの修行も続けておられます。今年の5月末から6月後半にかけて、チベットの首都ラサから直線距離で西に1000kmほど移動した西ヒマラヤ最深部の秘境を巡拝され、聖なる湖マナサロワール、聖山カイラスの貴重な体験をBPAライブVol.7にてプレゼンしてくださいました。
ラサはチベット語で「神々の土地」を意味します。現在のラサは、高層ビルが立ち並び、車が頻繁に行きかうなど、かなり都会化が進んでいますが、今なお聖地として巡礼者を引きつけています。
大村氏は、聖地とはむき出しの魂だけが辿りつける場所、宇宙そのものとつながり全体の命と一つになれる場所であると説かれます。西ヒマラヤの聖なる地で大村氏が目にした風景、その貴重な画像は文字どおり壮大かつ荘厳なものでした。

「五体投地は無の礼拝」

聖山カイラス(6656m)は、チベット仏教・ボン教・ヒンドゥー教・ジャイナ教など複数の宗教の聖地で、世界的にみても、エルサレムに匹敵する聖地の中の聖地といわれています。ヒンドゥー教徒にとってはシヴァ神の住まいであり、その象徴であるリンガ(男根)として崇拝されています。また、チベット仏教徒にとっては観音菩薩の化身であり、信仰心の篤いチベット人の中には五体投地でカイラス巡礼路をコルラ(周回)する者さえいます。
尺取り虫のように地を這いながら神に祈る五体投地は、最高の礼をもって祈りを捧げる心を形にしたものです。「オム・マニ・ペメ・フム」の真言を唱えながら大地に伏すチベット人の姿を目の当たりにすると、心打たれるものがあります。科学技術の恩恵に浴し、物質的には彼らよりも豊かなはずの我々日本人が失ってしまったものを感じるからかもしれません。
巡礼という彼らの行為は生産性とは無縁であり、お金になることもありません。ただただ祈り続けるだけです。五体投地というあえて時間のかかる祈りを繰り返しながら、ひたすら聖地を目指すのです。そこにあるのは、神々しい聖なる山と、ひたむきな巡礼者の姿だけです。
カイラス巡礼路には、タンボチェと呼ばれる、タルチョ(祈りの旗)で飾られた高さ13mの柱があります。タルチョは経文が印刷された五色の布で、五大元素である、地・水・火・風・空を表しているそうです。毎年、チベット暦4月の満月の日に、釈迦の生誕・悟り・入滅を祝うサカダワ祭が行われます。その際、この柱を倒してタルチョを付け替え、再び柱を立てた時の立ち方で吉凶を占うそうです(真っ直ぐに立てば吉、傾くと縁起が悪いそうです)。

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「空性の悟り」

日本の仏教は仏典を学ぶことが主です。元々、学問とは書物から学ぶという習性があるのが日本です。
チベット密教では、修行僧は書物からの学びを終えるまでに20年から30年かかると言われています。彼らは人生の長い時間をそこに費やし、その間に病気になる者や様々な理由から挫折する者も少なくありません。密教の奥義まで進むものは入門した僧たちの一割にも満たないといいます。その中でも特に意欲的で、厳しい戒律を守り、師から許された者だけが密教独特の成就法の修業に進むことができ、「空性」の悟りを得るために修行を続けます。

「映画『おくりびと』の死生観」

2008年の日本映画で、第81回アカデミー賞外国語映画賞、および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した映画『おくりびと』は、大変話題となり大きな感動を呼びました。この企画は主演の本木雅弘さんが、映画の原作となった青木新門氏の著書『納棺夫日記』と出会ったことでした。
主演の本木さんは、映画完成のインタビューで次のように話しています。「20代の終わりに仲間たちとインドを旅し、そこで死生観を考えることに目覚めたんです。それが一つのきっかけで、ある本で納棺師という仕事を知りまして、そのときに、見知らぬ男が見知らぬご遺体を前に拭き清め、仏着を着せて棺に納めるという一連の作業が職業として存在するということに大変衝撃を受けました。」
青木氏の著作には他に『転生回廊-聖地カイラス巡礼-』(写真/寺田
周明・北日本新聞社)があります。この作品は、ラサからカイラス山を経てカシュガルまで、4~5千mの峠をいくつも越えながら悪路を進む、過酷な旅を描いており、まさに死生観を表した作品です。高山病に苦しみながらも生と死の本質を見つめた深い洞察日記となっています。青木氏は納棺時に死者の顔から微光が漂うのを見たそうです。その光に親鸞の「教行信証」にある釈尊の光を、「チベット死者の書」における死者を涅槃へと導く光を感じ、あらゆる存在の根底にあるのは仏性の光なのだと思ったそうです。納棺師を辞めて、その光を見ることもなくなった青木氏は、再び光を求めて聖山カイラスを目指しました。人の死に関わってきた青木氏は古今の宗教書を読み漁り、現在の日本の堕落した仏教に対する疑問から、やがてチベット仏教へと導かれることになりました。

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「ヨーガは結ぶ、つなぐ」

大村氏の説明によると、平和と調和を基本とするヨーガの語源は古代インドの言語であるサンスクリット語の「YUJ」(ユジュ)で、結ぶ、つなぐという意味だそうです。小さな個の命を大きな全体の命に結びつけることで、人間の小さなエゴを、宇宙的な大きな命である利他の心につなぐのです。ヨーガの本質が結ぶこと、つなぐことであるように、一人の人間の行動や思考は、つながることで広がって行き、それを共有する心をもつ人々によって新たな作品が生み出されます。
日本とヒマラヤは想像以上に深い関わりがあるそうです。ヒマラヤの山々があるからこそ、日本列島に風が吹き、雨を降らせ、日本の風土・環境が保たれているのです。同じように、一人一人の存在は、大いなるものにつながっています。

ビジネスプロデューサーは、生み出す苦しみ、育む難しさと常に向き合っています。
大村氏が見せてくれた大自然、人知の及ばない力と時の流れ。これらと正面から対峙することで、本来の自分の魂と対話し、自分を取り戻すことができるのです。

「母なる大地・魂のふるさと・・・ヒマラヤ最深部の秘境を巡拝する人々の姿から学ぶ」というタイトルを大村氏が付けた理由は、自らの命を生み育てる力は、あるがままを受け入れることから生み出すことができる、ということなのでしょう。

大自然の中で人間が自然のままに生きることは、日本をはじめ科学文化の発達した先進国では大変に難しい環境となりました。
しかし、その歪みが経済社会の中にも深く問題として浸食しはじめ、閉塞感を感じる日常を生み出してしまっているのかもしれません。
もはや、過去をうらやんでも、それは愚痴を言うだけの人間と同じでなんの発展的な解決も生み出しはしません。

母性は、どんな状況であっても、それを受容し、そこから、どんなに過酷であっても新たな環境で生きるための智恵を授ける役割をもつ力です。
大村氏の見せてくださった母なる大地を守り続ける心と同じく、万物が変わりゆく中であっても、普遍の変えてはならないものを守りたいと思います。ビジネスプロデューサー協会は、今の現状を冷静に見つめ分析する力と、未来に新しい「なにか」を創り出すために、「なぜ?」を問いかけながら、個の才能を引き出し、生かし育ていく使命をもって歩み続けていきたいと改めて心に誓いました。

無心で五体投地する人の姿が美しいと感じるように、我々は、無邪気で透明な瞳をもつ赤子の未来を、美しい世界に創り上げていかねばならないと、聖山の厳しさから学びました。(小幡万里子)

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