ビジネスプロデューサー協会会報誌『BPA JAPAN』第7号(2012年8月30日発行)に掲載された記事です。

株式会社ベストメディア取締役 稲畑達雄氏

光を伝える父系の教え - 天と地を味わう中で得た縁 –

稲畑氏は、今回のBPA LIVEのテーマである「父性」について自らの人生を振り返ったプレゼンをしてくださいました。

そして生まれたタイトルが「縁」。

自分の人生に多くの縁を感じ、感謝をされています。

稲畑氏は、上場企業である稲畑産業株式会社を創設された稲畑勝太郎氏の曾孫で、自分は勝太郎氏の影響を大変に受けていたことに気づいたと言われます。



1862年に生まれた勝太郎氏はフランス、リヨンに公費留学し、当時の先端技術である合成染料と染色技術を習得しました。
サンドニー社の総代理店として、稲畑染料店を開業し、京都南禅寺に住居兼海外交流の拠点として「何有荘」を作りました。
子ども時代「何有荘」で四季を楽しまれた生活、曾祖父が創り上げた日常と異なる世界を味わえたことは、幼児体験に大きな影響を与えてくれたと言われます。

– 曽祖父が残したもの –

「物作りは産業の根幹」であるという意識と
「商売の基本は、礼義正しく、言葉使い、間合い」
であるということ、稲畑産業本社の壁面に刻印された稲穂のように
「実ほど頭を垂れる稲穂かな」
といわれる謙虚さを勝太郎氏から学ばれたといいます。

勝太郎氏の息子、稲畑氏のお祖父さまからは、特に言葉は人を傷つけることがあるということを厳しくしつけられ、幼稚園時代に「おじいさんの顏はブルドッグに似ているね」と口にしたところ、夜の10時に、ご両親と稲畑氏は、お祖父さまに呼び出され「人を動物に喩えるとは大変に失礼なことで、決してしてはいけない」と、親子で頭を下げて詫びたというエピソードがあるそうです。

ビジネスで成功をする方は、こうした「人としてしてはならないこと」「誰よりも謙虚であること」が、大切であると知り、どんなに幼くても身体に叩き込まされるのでしょう。
それが今も自分にとっての財産であり、厳しかったしつけに大変、感謝しておられます。

また、稲畑氏に光の世界の魅力を教え残してくれたのも勝太郎氏です。
日本(大阪)でシネマトグラフを初上映し、音楽や映像という魅力を多くの日本人に伝えるとともに、稲畑氏の現在の仕事にも大きな影響を与えています。

1968年、稲畑氏8歳の時、コンピュータ会議(Fall Joint Computer Conference)で、ダグラス・エンゲルバートはハイパーテキスト・インタフェースと、世界初のグラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)のデモを行いました。
舞台でリアルタイムにマウスを使用し、裏でキーパンチャーによるプログラマが仮想世界を魅せたという方法に衝撃を受けたと言われます。

幼い頃に体験したことが、稲畑氏に、たくさんの影響を与えてくれたといえましょう。

– 父が残してくれたこと –

お父様の稲畑忠雄氏は、稲畑産業の上場を機に第二の創業を目指し、メゾンイナバタ株式会社を作り、トヨタの豊田章一郎氏と共に小型ヘリウム液化機プロジェクトを受託するも失敗。
個人保証をしていた忠雄氏は、すべてを背負うとともに、これまでもっていたものすべて失うことになり、稲畑氏は、まさに天国から地獄を見た瞬間であったと言われます。

実業家の醍醐味、そして恐怖を知り、シーズ先行型開発の危険性を、身をもって感じたそうです。
お父様である忠雄氏は「まず理系をマスターしなさい、文系はいつでもできる」と稲畑氏に言い続けたそうです。

また、学習院初等科時代に浩宮様との出会いによって、東宮御所の空間体験を得たことは、誰もが出来ない経験をすることの喜びを感じられ、特に、皇后(当時皇太子妃)美智子様のハープの有る廊下を通り、浩宮様のお部屋へ向かわれた折には、生まれたばかりの赤ん坊の清子様を抱かせていただき「赤ちゃんとは、こんなに重量感を感じるのか」という驚きをもたれたそうです。

– 人脈

稲畑氏は、学習院高等科時代からプラネタリウムを制作、上映し、大学時代は、千葉県高宕山ニホンザルの8mmフィルム記録映画製作をしておられました。
オリンパスに入社後、初めての防水カメラであるAF1ピカソ、IZMなどを光学設計し、トーヨーサッシ(現LIXIL)では、特殊窓の商品企画をされました。

現在は、株式会社ベストメディアの商品開発部で曾祖父勝太郎氏から受け継いだ光を基にした商品開発をされています。オリンパス時代に共に頑張り続けた仲間や、学習院時代の仲間、家庭教師をしてくださっていた方などの人脈が、今の稲畑氏の仕事にもご縁をいただいていらっしゃるそうです。

– 父が教えた社会の見方 –

お父様の忠雄氏は「良い人間とつながりなさい。」「日本は、民主主義ではない。官僚社会主義国家だ。」という言葉を繰り返していたそうです。

現代の日本は、戦前の帝大、陸軍士官学校、海軍士官学校のバランスと財閥の調和によって成り立っていた社会から、東大の周囲の外郭団体による東大用語に満ちた社会となり、お父様である忠雄氏が言われていた「日本は、民主主義ではない。官僚社会主義国家だ。」という言葉がぴったりな世の中になってしまったことを危惧しておられます。

100~150兆円を噂される国会を通さずに予算通過してしまう特別会計は、いわば憲法違反の所業がまかり通り、一般会計(市場経済)の2~3倍、GDPの半分?が、省庁から特殊法人、大学、一部の企業等へ流れ、政治家も腐り始めています。
そして、それを蓋するマスメディアは、日本を、かつてのソ連と同じように崩壊への道へと導いているように思えてならないと稲畑氏は、日本の天と地がひっくり返る恐怖さえも覚えるといいます。

だからこそ、亡きお父様から「集まるだけではいけない!つながりなさい!と言われているように思える」と、大切なことを遺され、託された責任を感じておられるのだといわれます。

– 日本を再生するために –

この官僚社会主義国家という強固なシステムを作り上げた日本を変えていくために、SNSを最大限に生かすことが重要であり有効であることを訴えられておられます。
情報操作無しに、発言者の言葉をストレートに伝える動画メディアの数々、インターネット、ツイッタ―、ブログ、書籍を活用し、自らが発信するメディアになることと、自分にとっての貴重な情報を選択し判断する能力を身につけること。

その上で、自らの志をもつ人々がつながること。こうした縁をつなげていくことが、これからの日本を再生するためにも大切なことであり、それが、まさにB P A であり、フェイスブックであると稲畑氏は語られました。

稲畑氏の人生は、ぬくもりを感じる曾祖父からの父系から引き継がれたものと、子ども時代からの自分で得た人との縁、そして、これからは自らが縁を生み出すことで、新たな時代を作り上げていく気持ちで生きていることを伝えてくださいました。

– 「いつか南禅寺! 何有荘をこの手に」 –

とオラクル・コーポレーションCEOに買われた何有荘を、必ず取り戻す!という強い志に会場からの拍手が響きわたりました。

BPAの会員の皆様から、稲畑氏への感想をいただきました。

「御所の空間を肌で感じた」から「一週間キャベツ1個」までのご自身の体験に基づいた貴重なお話や、「シーズ先行型開発の危険性」や「良い人間と繋がりなさい」などのお父様の生き様を通して学んだことを、自シンのご経験を通して潜り抜け、清々しい表情をなさっていたのがとても印象的でした。

丁度、私自シンも父との闘いを前日に控えており、色々と考える節がある中で参加させて頂き、通ずるものを強く感じました。
人生のターニングポイントでの、この凄まじいご縁に感謝致します。
(中山照章)

稲畑氏のプレゼンをお聞きして、自分の父親も経営者であったので、利害関係の脆さを痛感しています。
一言で表せば、金の切れ目でない事つながりが大切な事だということを改めて感じました。
本当に大切なものを大事にしようと思います。
(原田健太郎)

– 四代に渡る父系のつながり –

現在の稲畑氏が一生の仕事としている「光」の世界は、稲畑産業創業者の曾祖父稲畑勝太郎氏から連綿と続く父系の絆といえるでしょう。
海外からの技術を引き入れ、それを日本独自の繊細な技術と組み合わせることで、さらに新しい価値を創り上げるというビジネスは、まさにビジネスプロデューサーの姿です。
明治天皇からご褒美をもらう神童でありながら、フランスに留学後、仏職人の厳しい徒弟制度に耐えた忍耐強さは、謙虚さと忍耐という強い精神力を求められるビジネスプロデューサーには、学ぶものが多いでしょう。

こうした曾祖父をもち、また、天国と地獄と喩えるような生活の変容を眼の前にしても、コツコツと自分のできることで、それに打ち克ってきた稲畑氏の人生にも、たくさんの学びをいただきました。
ビジネスも人生も順風満帆が続くものではありません。
謙虚さ、忍耐、間合い、礼儀、物作りへの探求、社会や時代を読む感覚、というものが大切であるということを、稲畑氏の四代に渡る父系が教えてくださいました。

(文責 小幡万里子) 

撮影:石郷友仁

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